アイガカリ
恋は合わせ鏡、愛は横並びの大きな鏡。
これを何処かで聞いたのか、自分が思いついたのかはもう覚えていない。
恋はお互いを見ている。互いを映し合い、相手との差異から日常より深い自己を認識するする。
愛は同じ方向を向いている。共に映すのは自分たち以外の世の中だ。隣の家族や自分たちの子供、周りを映して自分たちを育てていく。
多くの関係は恋から始まる。
月日が経って恋が愛に変わる。
その瞬間を愛掛かりと呼んでいる。
数学を日本でする人のシャレみたいなものになる。
愛掛かりは、i掛かり。
虚数をかけるということ。
恋であるべきものは、恋がRealにいる。
恋した度合いを数字で表して10とすると、iをかければ10iになる。
10はRealにいるけど10iは虚数の世界Imaginaryにいる。
愛にかかって現実から虚の世界に移ってしまった。
逆に愛であるべきものは恋の状態の時、違和感があるかもしれない。
それも当然、愛であるべきものは恋の状態が虚の世界にいる。
RealにいるものにiをかけたらImaginaryに行った。
つまり虚のImaginaryにいるものにiをかけると、現実(Real)に来る。
これはギャグだけど、ちょっと本当の恋愛に似たものを感じる。
長く付き合ってそれが楽しかったけど、結婚みたいなことを考えるとなんか違う。
それはきっと恋がホンモノの関係だ。
逆に遊ぶように付き合うのはなんだか辛いけど、ずっと一緒にいたい。
2人で同じ方向を向いて生きていきたい。
それはきっと愛がホンモノだ。
でも恋も愛もどっちも素晴らしい。
儚い恋も、情熱的な恋も、控えめの愛も、いろんな人に学んできた。
関係の変化で別れてしまう人が辛くないように、シャレのような変な理屈を書いたに過ぎない。
別れと出会いの季節に、ちょっと辛くも前向きなたくさんの知り合いの別れを見て、相手を想う知り合いたちの決断に心動かされた。
今週も月曜日から、また頑張ろうと思った。