月曜に備えて

噛みしめた結果です.

#010 抽象的な教訓(これまでのまとめ)

数式が書かれた黒板

はじめに

小学生の頃、テレビドラマ「ガリレオ」が放送され、夢中で見ていた。

不可解なことに科学で説明をつけ、解説していく様に強く憧れた。

もちろん、福山雅治がかっこよかったからでもある。

 

また同時期、「ホンマでっか!?TV」も毎週の楽しみだった。

あるテーマに関して生物学や社会学、心理学や脳科学の先生の見解を聞くのは本当に楽しく、裏紙で自作したノートに面白い内容はメモしていた。

ちなみにそのノートの名前は「ガリレオノート」だ、憧れすぎ。

 

中学生の頃は心理学や脳科学の本を読み漁った。

当時太っていた僕は傷つく言葉を受けることも多く、何故こんなことを言うのだろうと理性で納得しないとやっていけなかった。

もちろん、喧嘩もたくさんした。

 

そんなバックグラウンドがあり、がっつり理系の世界にいる今も心理学や行動経済学といった現状の行動分析から人間の行動や思考に関わる学問、進化心理学や遺伝行動学、歴史などの歴史的経緯から人間の行動や思考に関わる学問が大好きである。

 

そして日常生活の中にもこれらの興味で得た視点が生きている。

すると学んだ内容で説明できるなと思うこともあれば、書いてあった内容は嘘だなと思うこともある。

そんな中で自分として最もらしい答えが出たものがここまで書いてきたものになる。

 

ただ、自分の中でもふわふわしていた概念ばかりだったのでどうまとめたらいいかは非常に困っていた。

そこで物語調ならちょっとはまとまりがつくんじゃないかと考えて、拙い文章力で毎週まとめてきた。

 

今回はこれまで書いた内容に関してテーマ的な言葉をまとめる。

とっても抽象的なので各回は少し具体例をかいた。

では早速#001から。

 

#001 パッチワーク仮説

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>分人、性質の分裂、集合体自己について

 

個人というひとかたまりの人間的な思想は西欧の文化が元になっている、らしい。

こういう論文もあるので多分それは正しい。

https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=520&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=41

ただ、地理的制約などから日本はその他大陸の国々とは少し違う進化をしている可能性が大きい。論理関係が明確な英語などの言語と、何が濁しながらでもコンテクストで伝えるような日本語との違いからも同様の推察ができる。

 

違う進化をしているなら個人みたいな捉え方も違っていいじゃないの、ということで個人的にぴったり来るなと思ったのがこのパッチワーク仮説。

本文にあるようにこの感覚はペルソナマーケティングからヒントを得ていて、何かの拍子で分人って概念があることを知った時は「あっこれだ!」と感動した。

 

#002 スクリーンを変えてみる

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>視点の転換、捉え直し、既知の未知化

 

#001のような事故の捉え方の転換みたいなことは実践しようとするとちょっとエネルギーがいる。それは無意識に自分の中にあった前提みたいなものを壊さないといけないからだと思う。過去の自分と矛盾するのって気持ち悪いみたいな感覚もある。

 

この転換の捉え方の感覚は遥か昔に外山滋比古大先生の名著『思考の整理学』の中で触れた「メタ」の概念から得ている。この本を読んだのは中学生の頃か高校生になっていたか忘れたけど、色々と衝撃を受けた。

 

メタ(meta)は「高次の」とか「超」とかいう意味だ。自分はこう考えているな、とかを考えることはメタ的に自己を認知していることになる。ちなみに酔っ払っている時にこのメタ思考を発動すると恥ずかしいことになるのでやめておくことをお勧めする。

 

まとめると#002はあるきっかけで自分の行為をメタ認知して、それを転換すること、さらにはメタ認知により自分の既知感を顧みて未知を認める重要性を書いた。

 

#003 魔法の公式

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>演繹思考の癖、帰納思考の導入、スピードへの対応

 

僕ば長男でとても慎重な父親に育てられたので、自分自身もとっても慎重で真面目に育った。勉強を真面目にして、勉強のために「自分から」遊びを断ることもあったほどに真面目だ。

 

そんな風にして入った高校でも受験勉強を必死に頑張った。ただ、残念なことにそれは「受験」勉強だった。絶対正解があって、正解にたどり着くためのルール(公式)があった。

 

それではいけないと気づいたのは恥ずかしながら最近のことになる。そもそも全てに対しての正解なんてものは存在しない。正解はある対象にとって正解かどうか定義される。つまり「これを抑えたら大丈夫」なんていう魔法の公式はない。

 

この厄介な勘違いを助長するものに日本語と日本文化もあると考えた。日本語と日本文化は演繹的な思考に合うようにできている。一方英語は大抵帰納的で魔法の公式を求めず、それを個々の事象から作ろうとする。

 

#004 追い求む先に何があるのか

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>常識の作られ方、モラルやルールの正体、自己実現とは

 

何か目標を持って遂げた時に本当はそれが目標じゃなかったと気づく。

こんな現象はいろんな人が経験したことがあると思う。

 

先ほども触れたメタ認知を活用して、自分が従ってるルールを紐解いてみると何故これに従ってるんだ?と分からないものが出てくる。

 

#004はこのような何故?があることを目指すものを例にとって考え、その何故までを明らかにしようというものだった。

 

 

#005 名前の力 

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>思考と言語、言葉の力、言語間の思考差、言語と自己定義の再帰性

 

言語の登場の歴史は少し学んだことがあるけど面白い。

歴史を見ていると言語と思考の相関は無視できないほどに大きい。

究極的には世界は言語でできている。だからこそ名前は非常に重要になる。

 

名前でものを定義すると、そのものが逆に名前に定義されるようなことが起こる。

役者さんが役の性格を自分に取り入れてしまうような現象もこの言語の再帰性によるものだ。

 

#006 幸せになりたい

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>事象の両面性、人間感覚の非線形性、感覚時間極限有限収束、時間相対感覚

 

大抵のことは両極端な2面を持つ。

良いことと思っていることは、あるとき非常に悪いものになる。

 

これは自分の捉え方次第にもなる。

そしてその捉える自分はどんな知覚の特性を持っているのか?これを考えたのが#006だった。

 

感覚は直感で創造するものとはちょっと違うのがミソだ。

 

#007 サイコロの振りどき 

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>因果律に支配された思考、パッチワーク化した自分の利用、運の効用

 

僕たちの思考は基本的に因果に支配される。

この事実を利用すれば、自分の目指すところに向かって自分の意思や考えを塗り替えることができる。

 

#004で見つけた自分の目標に向かう時、自分の中の常識のせいでその目標がひどく難しいものになることがある。しかし、因果を利用して自分の中で正当な物語を作れば常識の書き換えは可能になる。この物語は他人に説明するためにも使える。

 

そして運も同様に使い方に注意である。

 

#008 分かる

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>決める理解決めない思考、ポジションと偏向、思考と具現、アナロジーの力、シナジー

 

何かを決めることは物事が終わってスッキリするが、思考はそこで終わってしまう恐れがある。考えだすと物事の両面性から中空に浮いたような決めきれない感覚になる。

 

どこかにポジションを取ることはある種の偏向を受け入れたということだ。

それは正しいかどうかはわからない。だから自らの決定は偏向であると自覚しないといけない。その前提を持った上でする議論というのは最も理想だと思う。

 

また、何かを思考することは得意な人もそれを具現化して実行するのは得意でないことも多い。思考と実行の乖離を頭に置いておくことで人間関係のイザコザの何割かは解決するんじゃないだろうかと思う。

 

思考と具体化を専門性を持って行うと、別の領域でも同じようにできることが増えてくる。

これがアナロジーの力だ。別領域の力を使って今の領域が深まることもある。これはシナジーである。

 

つまるところ、初めは偏向を受け入れてそこを深め、さらにアナロジーシナジーを受け入れれば偏向は初めほど強くなくなるだろうという話になる。

なんだか面白い現象だなぁということでこのトピックでまとめてみた。

 

#009 分からない

sunday-break.hatenablog.com

 

<Keywords>未だ説明不能な真理(78:22、働きアリの法則)、科学の限界、無知の知

 

色々と説明を書いてきたけど、結局わからんこともあるぜというのが最後。

なんなら説明もそれで現状納得できるから正しかろうというだけのもんである。

 

わかったようなもんも結局曖昧やし、わからんこともあるし、じゃあどうするのというと無知の知の姿勢でいると良いんじゃない?というのが#009であった。

ただ、無知の知はとっても難しい。#002でも触れたメタとかそういうのが大事になる。

 

仕事とかだと何をどうするか自分で説明できることが大事なので、そこにも結局無知の知っているよねみたいなことが現状の自分のまとめになってる。

 

まとめ

以上これまでのまとめ。

各話は絡み合っている。頭でふわふわしてた概念を無理やりえいや、と切り分けたのでしょうがない。

以降の#011からはまた抽象的なことが頭から切り離せたらそれも書くけど、基本的には少し具体的にしていこうかと思う。

 

人間関係、友達関係の苦しさみたいなものを解釈の力で少しでも減らそうみたいなニュアンスにしたい。ただ、ちょっとドロドロしたことがテーマになったりもするので鬱にならないように頑張ろうと思う。直視し、説明し、解釈を変える。このスタンスで来週からもよろしくお願いします。

 

良い日曜日を。