月曜に備えて

噛みしめた結果です.

#00β しばらくのお休み

所用でしばらく休むことにします。

 

組織や人間、価値と満足の相違、分解の思考と西洋思考、不可分の思考と東洋思想、切腹文化と責任(共産主義と資本主義のモチベーション設計)など自分の中でまとめておきたい内容はたくさんあるのですが、少し語彙が足りないので仕入れ期に入ろうかと思います。

 

一貫して物を考える際は、その考えることから考える方が面白いということはこのブログのテーマとしていきたいところです。

最近のよくいう意識高い「系」の人間が全ての正義のように使う「問題の因数分解」で分解して考えることのできる問題は集合論的に考えた場合、要素を取り逃がしています。

つまり問題という全体集合の要素をカバーできていません。その理由は簡単で問題の中にも「素数」というやつがいるからです。そいつはそのまま処理しないといけません。既知の問題に分解することなどできないのです。

 

物を作ることも西洋的な手法が現在メインになっているため、部品部品で物を見ることに慣れてしまっています。これは先述の因数分解問題と似た考えだと理解できます。しかし例えばその理解に慣れすぎて組織を部署ごとという区切りばかりで考えたり、優秀な人間を1つの部品のようにもってきたら強くなるかのように考えるのは正しいのでしょうか?僕はここに疑問符を投げかけたいと思います。

 

考える方法を一つしか持たず、しかも1つしか持っていないことに気づいていない場合は問題が起こってもそこで止まってしまいます。そこで人間はどうなるか。癇癪を起こします。怒るでしょう。知性で、言語で理解する範囲を超えたのでそのフラストレーションを意味のない奇声や暴力で発散させようとします。

 

森岡毅さんのマーケティングの話は今あげた組織の問題に対して解決につながる視点を与えてくれます。ただ僕はそれを別の思考方法が自分の中に入ってきた感覚として処理したいのです。僕は森岡さんの考えは東洋的な思想に近いだろうと考えています。

 

結局何が言いたいかというと、考えるときは考えるということから考えるのが面白いというところに戻ってきます。そしてお休みのあとはこのようなテーマでまた話を書いていこうということです。