#009 分からない
空気を構成する物質の比率を知っているだろうか?
細かい値は忘れているかもしれないがおおよそ窒素が8割、酸素が2割と覚えている。
ある正方形に内接する円を描いたとき、円の面積と元の正方形の残りの部分の面積の比を知っているだろうか?
電卓を叩いてみればわかるがこれもおおよそ円の面積が8割で残りの部分が2割となる。
赤ん坊の体の水分量を知っているだろうか?
これは個人差があるがやはり水分は約8割で残り2割が他の物質だ。
これらの値は何か理由があってこうなっているわけではない。
観察の結果、この比率が決まっている。*1
つまりこの綺麗な事実は理由がありそうなのに、実際はないというしかない。
理由がないというのは実は嘘である。
理由は付けようと思えば付けることができる。
ただし、科学的な理由付けはおそらく今の所なされていない。
今回の話題は「分からない」だ。
産業革命前後から急激に発達した科学は、ついに人間のコピーや人間に成り代わる知能の誕生をチラつかせるようになった。
コンピュータで作られたグラフィックが現実世界と混じり合ったり、逆に人間がグラフィックの皮を被って活動したりする様子も「未来」がそこまで来たようだ。
「未来」には全てが分かっている気がする。
人間とはなんなのか。それが分かるからAIができる気がする。この世界の摂理が完全に分かるから人や動物を造れる気がする。
でも、この感覚は嘘と言わざるを得ない。
私たちは気をぬくと己の無知を忘れて恥をさらしてしまう。
時には自分のさらした恥に気付きさえしない。
私たちはまだ何も分かっていない。
最初の例と似たものをもう少し紹介しよう。
厳然と再現されるその現象は未だ納得のいく説明がなされていない。
アリのなかには働きアリ、というのがいることはよく知られたことと思う。
ではこの働きアリは1つのアリの集団の中で何割ほどだろうか?
これも不思議で2割ほどだ。
また2割というマジックナンバーが出る。
しかし残りの8割は全部普通のアリかというと実はそうではない。
実は残りに関しても(かなりアバウトだが)更に8:2の割合で普通のアリとサボるアリに分かれる。
つまり、アリ集団の中で働きアリ:普通のアリ:サボりアリは2:6:2の比率になる。
これは働きアリの法則と呼ばれる。
織田信長は幼少期、アリの観察をしてこの事実に気づいたらしい。
そして彼はその後の人生で従えた人間たちも同じ比率で動くことに気がついた。
どれだけ有能でも、チームを組み替えれば無能になることがある。例えば100人の集団で優秀な20人でチームを組む。優秀な20人の集まりだから最強チームかと思いきや、4人ほどは堕落する。
どれだけ例を挙げられても分からない場合には、高校なんかを思い浮かべると自分の体験に当てはまるのではないだろうか。
受験で選別され、選りすぐりが集まるはずの進学校に進んだのに明らかに優秀な人もいれば信じられないほどアホ、に感じてしまう人もいるはずだ。*2
思い出せば同じような法則が当てはまる事象は人生で何回も経験している。
もうひとつ似たような法則としてコンサルタント御用達のパレートの法則を紹介する。
これは働きアリの法則の前半部分だけを抜き出したような法則だ。
商売に関して言うと、顧客のうち上位2割の優良顧客が売上の8割を占めているという法則だ。社会の富の8割を人口の上位2割のが占めているみたいなことも言われたりする。
このような話はあたかも正しい前提のようにして話が進められることがあるが、パレートの法則もただの「経験則」に過ぎない。
ただこれらの法則は経験則にも関わらず、厳然と存在していると認めざるを得ない状況が多々ある。
世界はまだまだ不思議で満ちている。
少し勉強し始めた頃は全てがわかるような気持ちになるかもしれない。少なくとも僕はなった時期があった。
ただ、勉強し学べば学ぶほどあれだけ堅牢に見えていた科学の脆さを感じるのだ。
悲しいことに、この全てが分かる気がするという錯覚にも8割というマジックナンバーが現れる。全てが分かる気がするとき、というのは例えばテストで8割が取れ始めるくらいのレベルの時だ。
このレベルは周囲からも賢いと言われたりする。そして自分は全て分かるのでは?と錯覚してしまうのだ。
ただし、8割というのは大抵の人がしっかりと「それなりに」努力すればたどり着けるラインなのだ。
8割以降に向かうには、8割に向かうまでの努力と同量またはそれ以上の努力が必要になる。
働きアリの法則を思い出して欲しい、優秀な者だけで作ったはずの集団でも振り分けは発生した。なぜが自然に振り分けられる上位2割になるためには自然の力に勝ち切る程の努力が必要だ。
無知を知ること、その上で己を見つめて何かに励むこと。
この姿勢は無為な争いを生まないために必要だと思う。相手どころか自分のことも完全に知らない私たちは、相手を貶める前に相手を考え、それを踏まえてまた自分を見つめ直すことしかできない。
そうしていると自然に怒ることは少なくなり、心に余裕ができてくる。
プロの語源はプロフェス(宣言)だという。
プロの第一歩は自分はこれをこの程度できるとハッキリ言えることだ。
これは自分の不足を知らないと正確にできない。
プロはどこか余裕があるな、と感じることがよくある。それはきっと己の無知を知り、己の道に励んでいるのだろう。
世の中には分からないことがまだたくさんある。今は信じるしかできないことがある。できることは、それをどういう根拠で信じているのか自分なりに説明することだけなのだ。
良い日曜日を。