月曜に備えて

噛みしめた結果です.

#007サイコロの振りどき

日が射す花と木の幹


新年度が始まって半月と少し経った。

新しいライフステージに立つ、去年度から一つ進む。

変化の時期だ。

 

新しい環境に少し慣れ始める。

そこでの自分の立ち振る舞いが見えてくる頃かもしれない。

 

この道に進んでよかった。

この道ちょっと向いてなかったかも。

いろんな感情が渦巻くのがこの時期。

 

両方の場合に関して

「なんでこの道を選んだか?」

という種の問いを自分の中でする。

 

今日はこの「なんで」に関する話をしようと思う。

 

 

 

 

 

 

月

 

今日はいい日、今日は悪い日。

1日の終わりにふわっと考える。

考えている時、無意識に頭には今日の出来事が広がっている。

 

これは無意識の「なんで」だ。

疲れたな、楽しかったな、その感情の理由を勝手に頭は探してくる。

 

仕事で書類をなくした、恋人に別れ話を持ちかけられた。

なんでこうなったんだ、どうしてこんなことに。

悪いことは、なんでなんでと頭をめぐる。

 

これは意識的な「なんで」だ。

自分が不快に思うことは理由を探したくなる。

理由なく不快なことや自分に危険が及ぶ世の中を認めてしまうと、気が狂ってしまうからだ。

 

 

たくさんの?

 

人はいつでも「なんで」を探している。

理由があると気持ちがいい。

 

理由がない時もある。

そういうときのテクノロジーが「運」だ。

 

サイコロを振る、くじをする、コインを投げる、ルーレットを回す。

そうやって決まった内容は「運」が理由になるので実行に移しやすい。

自分の意思を補強する道具にもこれらの運製造機は使われる。

 

ただ、サイコロは振る時を選ばないといけない。

今晩のご飯を決める、アイスの味を決める、そんな時はサイコロを振ろう。

 

進まなくてはいけないのに特に選べない。

自分の選択で選んだら失敗したときに怖い。

そんなときにはサイコロは振ってはいけない。

 

自分以外から作られた理由はすごく楽だ。

ついついサイコロを振りたくなる。

ついつい家族や恋人を理由にしてしまう。

 

でも僕はそれをしたらいつか大きなツケが回ってくるような気がしてならない。

 

 

 

物語の生きる人

人は物語の中で生きている。

物語は事件が起こってお話が進む「なんで」がある世界だ。

 

先日番外編でパッチーワーク化を少し具体化して書いた。

その中で

 

「仕事の自分は面白さ多めにして、腹黒さはアクセント程度にしておこう」

「家での自分は面白さとかいらないから食べるの好きなとこと寝るの好きなとこで埋め尽くそう」

 https://sunday-break.hatenablog.com/entry/2019/04/17/201607?_ga=2.231545503.1696849604.1555813741-1783254778.1544439990

 

 

のように自分の中の性質を振り分けて場面場面の自分を作ればいいという話を書いた。

 

これは場面場面で理由を作るということにつながっている。

仕事はこういう内容だからこの性質を重視しよう。

家はゆっくりして自分を休めるためにこの性質を重視しよう。

 

作り上げた自分の中の自分と環境がバッチリ合えば、その環境での自分の行動にも理由がついてくる。

しっかり意見を言う自分を大きめに持ってるから、頑張って意見を言ってみよう。

人見知りな自分を抑えているから、勇気を持って話しかけてみよう。

 

理由があれば人は動ける。

大切なことは無理をしすぎないことだ。

自分にない性質を組み合わせすぎるとストレスがかかる。

 

自分を見つめてその範囲で作っていけばいい。

人は理由の呪縛から逃れることはできないけれど、

理由という武器を持っているとも言える。

 

どうやって使うかはその両面の性質に気づいた自分が決めてまた月曜日を生きればいい。

 

 

良い日曜日を。