月曜に備えて

噛みしめた結果です.

#001パッチワーク仮説

パッチワークの画像

 

ある日のこと、現在建築を学んでいる昔の友人から少し聞きたいことがあると連絡があった。

 

約束の日、食事をして近況を報告しあった後に本題に入る。

 

「課題で建築デザインを考えてるけど、たくさんの人に良いデザインというのがどんなものかわからない。」

 

こんな話だった。

 

彼はどこまでも上を目指したい人だ。

自分の中にある100点を超えるようなもの、多くの人の生活に溶け込む素晴らしいデザインを考えたいと語る。

 

しかし、実際にはそのラインに到達するものは全然作れないようだ。

理想を高めすぎて、70点にも及ばない状態で締め切りが来てしまうこともあるらしい。

 

僕は尋ねた。

「多くの人に良いデザインというのは、どんなものなのか想像はついているの?」

 

彼はしっかりと形のある良いデザインを想像しているわけではないと言った。

つまり、具体的にはよく分からないという。

 

ここで、ピンときた。

最近興味があって本を読んでいたマーケティングの話を思い出したのだ。

 

 

それは「ペルソナマーケティング」である。

ペルソナというのは、古典劇において役者が用いた仮面のことだ。

 

マーケティングでは、自分の提供する商品やサービスを利用してくれる代表的なモデルユーザーをペルソナという。

 

具体的な設定をいくつも作り出し、あたかも実在の人物のように想定して、ペルソナに合わせた商品設計、マーケティングを行うのだ。

 

具体的な話はSoup Stock Tokyoの設定した「秋野つゆ」というペルソナの話が有名なので、気になる方は検索してみてほしい。

都内在住37歳。フォアグラよりレバ焼きを頼む。など本当に具体的でその設定いるの?というものもあって面白い。

 

さて、このペルソナマーケティングが建築の「多くの人に良いデザイン」に関係があり、本項タイトルの「パッチワーク仮説」の核となる部分だ。

 

流行るもの、人気になるもの、というとたくさんの人が好きだと感じるもの、気にいるものだと考える。

確かに結果から見ればこの考えは正しい。

 

友人もそう考えていたようだ。

『たくさんの個人を想像して、みんなが嬉しいことはなんだろう。』

でもこれでは、うまくいかなかった。

なんだかパッとしないものができてしまうらしい。

 

そこでこう考えてみる。

人間個人は1人という連続体ではない、個性A、個性B、個性C...といったさまざまな個性の集合体である。

こんな捉え方を僕は「パッチワーク仮説」と呼んでいる。つまり人間は1枚の布ではなくて、色んな布のツギハギということだ。

 

この考え方には、色んな効用がある。

人間関係の問題も、マーケティングも、今回のような建築の話でも、その効果を発揮する。

 

まずはさっき話したマーケティングとの繋がりを書いておこうと思う。

 

さっきまでの説明では、ペルソナというのはとある一個人のように感じた。でも、ペルソナは個人ではなく、個人の中にある個性だと思うのだ。

 

人は多くの個性を自分のうちに込めている。優しい個性、いじわるな個性、活発な個性、おとなしい個性...

 

少し別の話だが関連があるので言及すると、とある別の芸術系の友人が「すべての人の中にあるADHD性」というテーマで作品を創ったという話を最近聞いた。

 

パッチワーク仮説は、多くの人が同じ個性を持っているという話である。

性格の差は、その個性が自分の中にどんな大きさで入っているか、そこの違いだ。

 

ペルソナという1つの個性を考え尽くして商品を作る。そしてその個性を世の中のたくさんの人が、そこそこの割合で持っている。

そんなときに、その商品はヒットする。

 

建築も同じだよ、と話した。

友人は多くの個人の集合を創造し、みんなが嬉しいデザインを考えていた。

でも、それは結局どの個性にも刺さらない。

いろんな向きのベクトルを足すとゼロになってしまうのに似ている。

 

あくまで、ひとつの個性を仮定してデザインを考える必要があったのだ。

 

そんな話をすると

「確かに、めっちゃすごい!って思うわけじゃないけど、でもすごく意思を感じて惹かれる作品を作る人がいる。今の話でいうなら、個性Wみたいなちょっとコアなとこに刺さる感じの。」

と友人は納得顔であった。

 

 

パッチワーク仮説が、多くの人にとって効果を発揮するのは人間関係についてだと思っている。

こんなにコミュニケーションが活発に、表現が多彩になった現代も、人間関係の問題は絶えることがない。

 

例えば、こんな場面を考えてみる。

数人のよく遊ぶグループがある。そのなかで自分はKさんと映画や音楽の趣味がすごく合う。出会ってはじめのうちは、きっとすごく仲良くなるだろうと感じていた。

 

でも、しばらく経つとグループ以外で個人的に遊ぶ人はKさんではなくLさんになっていた。Lさんは映画や音楽の趣味が合うわけではないが、何か一緒にいて居心地がいい。

 

こんな時、ふと考える。

Kさんは合うなぁと思う部分も多いのに、なぜか決定的に合わない。」

 

似たような場面はよくあると思う。

パッチワーク仮説を使えば、これに説明がつく。

 

自分はたくさんの個性のうち、個性Aと個性Bがパーソナリティに大きく寄与している人間だとしよう。

 

一方、Kさんも個性Aが大きくパーソナリティに寄与しているが、個性Bとは決定的に相性が悪い個性Cも大きな影響を持つと考えるのだ。

 

だから、なぜか合っている部分もあるのに決定的に合わない。というわけだ。

 

 

僕はこれまで、たくさんの人にバカにされることがあったし、バカにすることもあった。嫌いだとか憎いとか思ったこともたくさんあった。

 

しかし、パッチワーク仮説の考え方を思い付いてからは嘘みたいにその感情が無くなっていった。

 

個性が違う部分があるから仕方ない。自分の個性をしっかり認識できてなかったからあんな風に言ってしまった自分にも落ち度があった。

 

訳もわからず、ただマイナスの感情を抱いていた部分を自分なりに解釈できるようになったことで、失敗したときも次は気をつけようと前向きに考えるようになったのだ。

 

パッチワークの画像

 

この考え方は他にも色んな応用がある。

でも、全部を言わずあとは読んでくれた方の使い方にお任せしたいと思う。

何か困ったときに、少しでもヒントになればこれ以上嬉しいことはない。

 

そして、明日を迎える前にすこし考えてみてほしい。

自分はどんなパッチワークだろうか?

 

良い日曜日を。