#002スクリーンを変えてみる
最近,iPhoneのスクリーンタイム機能を設定してみた.
1日にどれくらいの時間,画面を見ているのかがアプリごとにわかる機能だ.
設定してみて驚いた.1日に4時間以上画面を見ている.
自分は結構画面を見るほうだろうなと感じていた.
でも,ただそう感じているだけだった.
数字は雄弁だ.1日の20%近くも画面を眺めていると言われれば少し考える.
スクリーンタイムは優秀である.
時間を知らせてくれるだけではなく,自分で制限をかけることもできる.
僕はTwitterとInstagram合わせて1時間をめどに警告が出るようにしている.
やむを得ない時以外は控えるようになってきたので,ちょっと嬉しい.
こんな風に画面を見る時間を少し気にする生活を始めてしばらく経ったころ,
一人で街に出るために電車に乗った.
車両の両端に向かい合わせに,車両の長辺に合わせて椅子が並ぶいわゆるロングシートタイプの電車だった.乗り込んだら席に座って,考える間も無く右手にスマートフォンを持つ.
何を目的とするわけでない.ただ,それがいつものことになっている.
SNSやニュースを,音楽を聴きながら流し見る.
ここ楽しそう,綺麗な景色だなぁ,なにこいつ…
いろんな感情になりながら,でも自分のことじゃない.
そんな情報をどんどん消費していく.
しばらくしてふぅと一息,顔を上げた.
大きな車窓は青と白と緑,そこに灰色の混じった風景を切り取っていた.
まるでひとつの,大きなスクリーンのようだった.
電車が進むと切り取る景色は退いていく.
田舎の風景はどこもそんなには変わらない,でも少しずつ変化する.
山が空と地上の境にそびえ立ち,ここからは自然の領域だと主張しているようだった.
節電のためとアナウンスのあと,車内灯が切れる.
目の前に座る人たちの表情が見えなくなり,風景の中に人のシルエットだけが残る.
緑,青,白の色鮮やかな自然風景に,黒い人影が浮かび上がる.
いつもの電車が美術館に変わった瞬間だった.
手元の小さな画面から,ふと顔を上げた途端に大きな自然のスクリーンが顔を出した.
手元の小さな画面には広大な世界が収まっている.
電車に乗ると,多くの人は手元の世界に夢中になっているのがわかる.
いや,もしかするとそんな身の回りのことも認識していないかもしれない.
電車に乗ったら,何も考えず自分も手元の世界に入り込んでいたのだから.
でも,この文章を読んだあなたはスクリーンを変える能力を手に入れた.
そうして周りを見るといろんなことがわかる.
ここ最近でとくに驚いたのは,人の目の動きだ.
小さな子どもと大人の眼球の動きの差は,驚くべきものがある.
子どもの目は,常に動き回り自分の周囲のものを観察している.
いつからだろうか.僕の目が動かなくなったのは.
いつからだろうか.あなたの目が動かなくなったのは.
小さな画面は視線の檻だ.
檻から出ると,そこには見失っていた現実の自分の周りが見えてくる.
線路の周りにはなにがあるだろう.
窓から見えるところに気になるお店はないだろうか.
電車の中に,生活のヒントはないだろうか.
スクリーンタイムは週末に,1週間のレポートを教えてくれる.
先週より画面を見ている時間が〇〇%増えたとか減ったとか教えてくれる.
今週の僕は,先週より自分の周りを楽しめただろうか.
来週のあなたは,スクリーンを変えてみているだろうか.
良い日曜日を。